おるかの時間

転職回数50以上。それでも3児のパパやってます。断酒や子育て、暮らしのコツなど思ったことなどを書いています。

わたしの自己紹介〜人間をやめた脱法ハーブ〜

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こんにちは。おるかです。

前の2記事では、わたしの自己紹介薬物との出会いについて書いてきました。

本記事では、アルコール依存症になったキッカケの脱法ハーブ時代について書いていきたいと思います。

蔓延していた脱法ハーブってどんなもの?

前記事で大麻を所持していた友人から遊ぼうと連絡が入り、夜の21時頃から遊びに出掛けました。はじめの会話は、「この前の大麻やばかったやろー?」と言った感じ。

 

確かに普通ではない体験だったので、わたしも素直にすごかったと返答しました。

そして、近くのお店で大麻と似たようなものを買えるからいこーぜと言われ、そのままお店の方へ向かうと、そこはアダルトショップでした。

 

商品名を見ると、大人のグッズやDVDが並ぶお店のカウンターに「お香」と称して販売しており、お香を使用しエロムードの空間を演出するという名目で販売していたようですね。しかし実際は吸引し、ボケた頭になるという目的なのが本当の所でしょう。

 

店内に入り、すぐさまカウンターへ向かい、友達は慣れたように○○を1g(1㌘)下さい。と長髪で癖のある店員に伝えると、店員はパケ(透明の小さい袋)に入った少し茶色く濁った乾燥した葉っぱを差し出しました。

 

1500円くらいの支払いを済ませ店を出ました。

 

その後、車に乗り込み少し離れたコンビニに駐車後、タバコの中身の葉っぱを取り出し、慣れた手付きでさっき購入したモノを詰めていきます。その間、1分ほど。

 

そして、火をつけ2人で交代に一本吸いきると、まるでこの前の大麻とは全然違う感覚で、何を見ても笑いが止まらず、思うように身体も動かない。でも、それ自体が楽しい。

 

俗に言うラリってる状態でした。

 

その日を境に、脱法ハーブにはまっていく。

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その時代、脱法ハーブは出始めの第1世代と呼ばれる種類のものでした。この時は、自我を全然保てていて、何をしても楽しい、飯がうまい、音がよく聴こえる。など遊びの幅が広がったと毎日のように集まり、皆で吸いまくっていました。

 

そして、段々と脱法ハーブを売るお店も増えていき、わたしの住んでいる市内にも数えると10を超える専門店ができてあり、中には24時間営業で手元になく困ってもすぐ手に入る、そのような環境になっていました。

 

ただ、ハーブを吸引しが事件を起こした人のニュースも頻繁に耳にするように。こうして、成分の規制がどんどん追加され、残っているのは何が入っているかもわからないハーブばかりです。この頃から合法ハーブから危険ドラッグと名称化されましたね。

 

ウワサによると完全に規制される前のハーブの成分は、殺虫剤や漂白剤みたい人体に害を及ぼす成分がたっぷり入っているなども聞いていました。しかし、脱法ハーブが日常生活に溶け込んでいたので、もう抜け出せません。

きっと強い依存性物質が入っていたのでしょう。

 

お金も底をついていましたが、消費者金融へ走り、借りれるだけ借りてそのほとんどをハーブへとつぎ込んでいました。この時代には、もう仕事をせず、消費者金融で借りたお金はお小遣いと勘違いし、返すあてもなにのに浪費するばかりでした。廃人生活です。

 

国をあげての危険ドラッグの取締。

約2〜3年間の間ほぼ24時間365日ハーブの沼に浸かっていたわたしは、幻聴や幻覚、被害妄想などが常にあり、かつて一緒に吸引していた友達とも連絡を取らず一人でその世界に浸かっていました。外へ出るのも周りの目が怖く、家にいても玄関をドンドンと叩く音がする。など、もう廃人のようでした。ハーブの入手はもっぱらデリバリーで家に運んでもらい、その妄想から逃げるため、ハーブを吸う。

 

効果の切れ目で被害妄想などが出てくると吸引。もう底なし沼です。

 

しかし、そんな状態のなか警察が本腰をいれて危険ドラッグの取締を強化しました。

その結果、1〜2ヶ月もすればお店は全部なくなり購入先がなくなり、ネットを見ても胡散臭いサイトばかりで、とうとう手に入れることができなくなりました。

 

わたしが危険ドラッグをやめられたのは、警察のおかげと言っても過言ではありません。その時は、吸えなくなったキッカケの警察を憎んでいましたけどね。。。

 

残ったのは、ただ頭のおかしくなった成年ひとり。

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結婚する以前のわたしは、親ふたりと兄と姉がいました。

狂っているわたしの唯一の味方です。なんとかわたしを救おうと色々手を尽くしてくれていたのですが、その時のわたしは本当に自分勝手でありがた迷惑だとさえ思っていた次第です。本当にごめんなさい。

 

外に出るのもこわい。人とまともに会話できない。何より、自分と家族以外は敵だという思い込みの中で生活しており、その苦しさを紛らわせてくれたのはアルコールです。酔っているときだけは、自分らしさを取り戻し、社交的にまた、元気になっていたのです。

 

最後に

こうして、ひとりのアルコール依存者が生まれました。

次の記事ではアルコール依存症(現在)についてもう少し書きたいと思います、

私ごとばかりで申し訳ありませんが、もしよかったら拝読よろしくおねがいします。

 

今日も読んで頂きありがとうございました。